川上カーマスートラ

海外での生活

下り坂の奇跡

今携わっている農業の話よりもまず先に書かなければいけないことがある。
ダッカのテロについて考える前に書かなければいけないことがある。

車に轢かれてしまった。
しかも結構なスピードで。

現在、バリ島の中央に位置するウブドという海のない村に住んでいる。
一日あれば島を一周できるのではないかというくらい小さい島なのに、標高3000mの山々を内地に抱えているため、観光地とはいえども道路の起伏が激しいのだが、特にここウブドはそれが顕著だ。
ガソリンを入れるために道を下れば、帰り道は急こう配といったことはザラで、借りているバイクなんか三日に一回はガソリンを入れなおしている。

そういった状況から、昇りは一生懸命がんばるよアクセル全開、下りはジェットコースター気分で急降下という交通事情となっており、とにかく事故現場が多い。
昨日もアルミ缶のようにぺしゃんこになったバイクを見たばかりだったので、「怖っ」くらいのJKテンションで気を付けているつもりではいた。

熱電球に集る夏の虫みたいに、見えないWi-Fiを求めて観光客だらけのカフェへと足を運ぶのが僕の日課となっている。
ちょうど、シンガラジャというバリ最北の田舎での合宿から帰ってきたばかりだったため、連絡の類がたまっているかもなぁと思いながらパソコンをチェック。
親類や地元の友人から安否を確認するメールが多くきていた。心配かけてすまなく思う。ご心配ありがとうございますという気持ち。
あとはビザのことや、海外からの配送のことを調べたりして閉店ギリギリまでWi-Fiにしがみつく。

来るときは気が付かなかったのだけれど、ヘルメットを忘れていた。
こちらの交通ルールは詳しくはわからないけれど、どうやらヘルメットは任意で装着のようで、つけてなくても、どんな形でも、どんな柄でも警察は見逃してくれるらしい。
よくスイカ柄とか見るし、ドリアンみたいにとげとげのやつもあるし、ドラクエみたいに勇者なのも見かける。

f:id:eurybee:20160705144559j:plain


それはいいとして、「ノーヘルはちょっと気が引けるなぁ…」と安全第一に考えることもなく、「なんだ忘れたか」くらいでいつも通り帰路を急いでいた。
帰りはずっと下り坂。ほとんど直線のメインロードだが、ここは東南アジア。やはり道が悪い。
道路にケンシロウが北斗七星を食らわせたのか(よく知らない)、はたまた亀さんの休憩所なのか、至る所穴だらけ。
一応気を付けてはいたのだけれど、何度も何度もその北斗七星に陥り、いちいち脳天まで衝撃が走るものだから、だんだんイライラしてくる。
クソッタレが!日本みたいに公共設備綺麗にしまくれよ!とアクセルを握りしめ、しゅいーんと下っていると、危うく住居へ続く小道を見過ごしそうになる。
おととととっとい、、、
と、ブレーキをかけつつ、右折しようと重心を傾けたその時だった。

音は無かった。
いや、耳を通り過ぎる熱風に邪魔されて、聞こえなかっただけなのかもしれない。
気が付くと僕は何かに押し倒され、原付ごと坂をスライドしていたけれど、僕はその最中にも、「なんだこれ、死なないよな」などと能天気なことを考えていた。
落命のピンチを迎えたとき、精神は多分死を認めようとしないのかもしれない。身体が限界を迎えて、ようやく精神は死を覚悟するのかもしれない。
道路に横たわりながら、接触した車がどういう行動をするのかを冷静に見つめていた自分が不気味だ。
たむろしていた地元の不良たち20人程に囲まれて、ようやく事態と向き合う。

結論から言うと、僕は生きてます。
なかなか派手な接触だったにもかかわらず、左ひじと右ケツに打撲を負っただけだった。
プロボクサーと戦ってもこれだけの怪我に抑えることは難しいのではないだろうか。
かなりラッキーというか、今思い返すとほんとに死ななくてよかった。ほとんど奇跡だろう。

徐々にスピードを取り戻そうとする車に、ファックユー!みたいな罵声を浴びせていた大勢のギャラリーは、「敗者だけどよく戦ったよ、ナイスボクシング!」みたいな高揚感で囲んでくれ、羞恥心を抱きながら「タリマカシー(ありがとう)…」と、そそくさとその場を後にする僕。
我が物ヅラで異国の悪道をかっとばし、派手に締めくくりを失敗してしまったときのこの恥じらい。
亀田興毅もこんな気持ちだったのだろうか。
いや、それとも長いキャリアの中で栄華を築きながら、本日をもって引退するけれど、最後の最後ノーヒットで終わったバッターだろうか。
みんなの期待を背負いながら打席に立つも、余りのプレッシャーから、ボールにかすりもせずに試合終了、そして感慨。
僕はそういった、哀愁漂わせながら何考えてるか分からないシーンが好きだったりする。
大衆の興奮をよそに、案外「SECOMそろそろつけるかな」とか「爪汚ねぇえなぁ」とか「ドラッグまだ残ってたかな」とか思っていたりするはずだ。
不良たちを背にし、「パソコン壊れてたらどこで買えばいいんだろう…」そんなことを考えながら再びバイクを走らせる。

住居に到着してからも、自分から告白しないと事故にあったことに気付いてもらえないくらいの程度で、なんとなくかまってほしい僕は、スイス人女性とフランス人男性に、それでも心配はかけたくないため、バイクで滑ってこけちゃったと、少々事実を歪曲して伝える。
パソコンが無事か確認していると、女性の方があったかいコーヒーを出してくれ、前から思っていたけれど、この人は僕のことが好きなのではないかと幸福感に包まれ寝たらほとんど体の痛み悪化していなかった。

日の出で男を磨く

かっこよくなりたかったので、朝日を見に行くことにした。
理由はなんとなく把握していて、おそらく道行くサーファーに対する憧れだ。
肉体的にも性格的にも彼らのようにはなれないであろう僕は、せめて生活だけでもどうにかして近づきたいと考え、今回の行動に出ることにする。

日の出の時間は調べず、目覚まし時計を適当に5時30分に設定。
これはなかなかポイントが高い行為である。
なぜなら、日の出の時間を調べちゃうサーファーはかなりダサイからだ。
調べてしまうと、「待っている」という時間が生まれてしまい、何が起こるかわからない自然に対して反自然ということになる。それはネイチャーじゃない。natureじゃないのだ。
一流のサーファーたるもの、優しいさざ波の音で目を覚まし、カーテンを開けると偶然そこに朝日がなければならない。
しかし目覚まし時計を設定するのはセーフとする。設定した時間にたまたま朝日が昇っていなかった、という言い訳が利くからだ。

ワクワクはせず、23時には就寝。
朝日ごときでワクワクするサーファーがいるだろうか。答えは否、こんなことただの生活の一部でしかない。
サーファーがワクワクするのは、波をメイクする時、マリファナをやる時、そして女といる時だけだ。
着々と意識を高めていき、ほのかに潮の香りがする枕に沈む。

翌朝、目覚まし時計がワンコールなったところで起床。自分でも驚いたのだが、これはほとんど鳴ってないのと同じだ。限りなくネイチャー。
外に出るとまだ辺りは暗い。鳥の囀りさえ聞こえず、ただ遠くで波が堤防を打つ音だけが響く。
砂浜への道は知っていたが、あたかもさざ波の音に呼ばれるかのように耳を澄ませ、導かれてますよオーラを放ちながらそこへと向かう。

こんなにうまく事が運んでいいのだろうか。
このままでは僕は一流のサーファーになってしまう。
現地の人に「あいつは自然natureに語り掛けられる男だ」と崇められ、30mの巨大な波をメイクしてしまう日が来るのかもしれない。
プレイは一流なのにタトゥーは一切していない。このギャップに数々の女をものにしていく。
そして腰痛が悪化し、34歳の若さで夭折。
以降伝説と化してしまった僕の命日には、世界各国のビーチで追悼の式典が催され、海に生前好んでいたエロ本がばら撒かれる…。

街灯に照らされながら、黄昏の男一人。光を求めて闊歩していた。

その時だった。
後方からスタッスタッスタッと何かが近づいてくる音が聞こえた。
いつもより感覚が研ぎ澄まされているため、音だけで距離を測る。
およそ60mといったところだろうか。
そしてその何者かの数は、1人ではない。2人…いや、2匹だ。
僕は意を決し、後ろを振り向いた。

そこには邪悪な巨大犬がいた。

僕は「死んだ」と思った。奴らに咬まれて狂犬病を患い、唸るように死んでいくのだ、と。
しかも運の悪いことに、というかただの怠慢で予防接種の類を一切受けていない。
なんでこんな巨大な犬野郎共が放し飼いなんだよ…とバリ住民を恨みながら、おしっこをちびりそうになる。

「Dont think, FEEL!」という言葉をご存じだろうか。
「考えるな、感じろ」と、かの有名な武道家ブルース・リーの名言であり、今なお多くの人々に自分を信じる勇気を与え続けているのだが、僕はその言葉を思い出す間もなく、一目散に駆けだした。

スタートはほとんど同時だった。
世界陸上に出場しても恥ずかしくない駆け出しだ。
状況の違いは、僕が寝起きの選手であることと、競争の対象が「死」であるということだけだろう。
僕はスピアーモンくらいスピードが出ていたのではないかと思う。
しかし残念なことに奴らは、ボルトと同じくらいスピードが出ていた。
織田裕二は僕を応援してくれていることを信じつつ、波の音より近くなっていく犬の吐息と対峙する。

徐々に差が小さくなっていき、僕は死を覚悟していた。
家族、友人、そして旅先で出会ったたくさんの仲間たち…僕は犬に食われて死にます。
もし狂犬病になっても絶対あなたたちには咬みつきません。
今までどうもありがとう…。





お察しの方もいるかもしれないけれど、こうして文を書いているので僕は生き延びることができました。
あの時の状況はよく覚えていないのだけれど、バリの入り組んだ路地に救われたのだと思う。奴らを撒かなければと、細い路地をひたすら縫いまくった結果、振り返るとそこには何もいなくなっており、命拾いしたというわけだ。

そして、路地を抜けると、そこではまばゆい光が海から生まれようとしていた。

ということはなく、今度は本当に耳を澄ませて砂浜を探した。
サーファー意識のスイッチを再度オンにする。
運良く日の出前に辿りつき、絶好のポイントに固定。
半分以上雲に覆われている空と大量の蚊が、サーファーへの道のりの厳しさを物語っているような気がするが、それもまたネイチャーからのメッセージということで真摯に受け止め、1日の始まりを待つのであった。

f:id:eurybee:20160619125058j:plain

f:id:eurybee:20160619224527j:plain

f:id:eurybee:20160619125531j:plain

f:id:eurybee:20160619233848j:plain

f:id:eurybee:20160619234411j:plain




波の友達

バンコクで知り合った友人と合流する。
今宿泊しているところの居心地があまりに良すぎるため、無理矢理その人を招待したところ、早速例のグロテスク娘にショッキングムービーを見せられていた。

f:id:eurybee:20160617114836j:plain


久々の再会であるため、豪遊しようということになり、昼から近くのビーチでサーフィンをすることに。
そこは、バリ島でも屈指のサーフィンスポットで、サーファーのメッカなんて呼ばれているため、歩いている人々の9割が筋骨隆々。よそを見て歩こうものなら、激突して脳震盪は免れない危険なビーチ。
それでなくても波の上はボードで溢れているため、悠長に泳ぐなんて言語道断、周囲の状況を的確に把握し、他人に迷惑をかけることなく波をメイクしないと、破門を言い渡されること必至だ。


結果から言うと、2時間コースの料金を支払ったが、僕は1時間で自らリタイアを宣言する。
インストラクターがついてくれたはいいものの、身体が言うことを聞かないのだ。
腰痛はもともとあったけれど、開始15分程で骨の髄から液が漏れ出ているような気がし、「これはけない」と早々ボードに立ち上がるのを断念する。
以降先生に怒られながら波に弄ばれ続け、トドメには宿のロッカーキーを浚われる。

f:id:eurybee:20160617121531p:plain


それに対し友人は、一発目の波から乗ることが出来、インストラクターから「Good student」と称えられている。
…この人絶対初めてじゃないっ…。
僕は軽い嫉妬を覚えながら海を抜け出し、とぼとぼとビーチを散歩していていると、日本人らしき女性が。
思い切って「こんにちは」と話しかけてみたところ、鹿児島と奄美にずっと住んでいたらしく、共通の知人もいて驚いた。
すっかり意気投合し軽食をごちそうになるが、それがまたウマくて懐かしい日出る国の味。
それもそのはず、なにやらこっちで旦那さんと沖縄料理店を営んでいるらしい。

さっそくその夜友人とお店を探し、「Warung Okinawa」(warungは大衆食堂の意味)を見つける。
品数も豊富で、ゴーヤチャンプルー、沖縄豆腐、唐揚げ、マグロと久々の日本料理を賞味していった。
焼酎の黒霧やれんともあったけれど、海外ではセーブしておくことに。こういった欲に負けないストイックな強さもいつの間にか備わった自分、、、ナイスだ、、。言わずもがな日本での数々の失敗が起因している。

ファームステイからの連絡がまだ帰ってこない。
観光地であるため物価もそれなりに高く、お金の減りが早い。
ビザの期間はどうしたものか、延長するかしないかで迷っている。

www.youtube.com

バリ島でやりたいこと

バリ島に来たのには訳があって、以前読んだ塩見直紀さんの「半農半Xという生き方」という本にあった、バリ島モデルのライフスタイルが魅力的に感じたから。

どういう生活なのかは実際j自分の目で確かめたいのだけれど、著者の提唱する「半農半X」という生き方が、かなりバリ人の生活に近いらしい。
半農半X」とは、労働の半分の時間を、自分で必要な分の食料生産にあて、残りの半分は、地域の伝統を守ったり、地域に貢献するために、自分に出来る創作活動であったり、場作りを展開するといった、各々得意とするXにあてる。

鹿児島でもこれに似た生き方を実践している人がたくさんいて、もちろん苦労が多いだろうが、とても輝いてみえる。
僕の友人は「なんだかよくわからないけど、人間は土と触れ合ったほうがいい」というが、その人の生き方を見ていると、妙に説得力がある。

到着してから、農業体験ができ、尚且つ地元の文化活動に触れられるホームステイ先を探していたのだけれど、やはりツアー扱いとなり、一週間で10000円程。
ツアー扱いというのが、地元のほんとの暮らしが見れるのか疑問で躊躇していたところ、workawayというサイトを見つける。
海外の様々な土地で農業を手伝う代わりに、宿を提供してもらうといったシステム運営をしているWWOOFというNGOがあるけれど、このworkawayもそれに近いもの。

そのサイト内で、かなり興味の湧いたステイ先を発見し、早速アポイントを取ってみる。
実際に決まってから詳細は書こうと思う。

youtu.be

「Borrow your money,please」

youtu.be

ドミトリーででイチャこいていた女に「お金を貸してくれ」とせびられる。
そして、昨日彼女とイチャこいていた同じドミトリーの男性が、ふたりでクラブかどっかに行った後、謎の失踪を遂げる。
彼女に聞いたところ、早朝チェックアウトしたとのことだが、果たして彼はどこへ消えたのか。

何やら昨夜、そのクラブでぼったくりにあったらしく、今手元にお金がないらしい。
ATMもすっからかんのようで、「明日の夕方友達がお金を送ってくれるから必ず返す」みたいなのだが、それにしても15000円は高額だ。
長時間の説得に折れ、とりあえず今日の宿泊代だけは貸してあげようとしたのだが、「一週間分払ってくれ」と泣きつかれる。
「信用できないなら私の証明書をあなたに預けるわ」とのことだが、バンコクのカオサンロードで偽造免許販売店を多数目の当たりにしているため、なかなか信用は難しい。

それなら宿のスタッフにその証明書を預けて、明日お金が振り込まれたらすぐ払えばいいじゃないか、と言ったら、「宿が満室だから今払わないと追い出される」と、なかなか着地のしどころが無い。
「だからそれなら今日の分だけは貸すよ」というと、「一週間分溜め込んでたのも貸してくれ」とのこと。

絶対明日の早朝無言のチェックアウトパターンじゃないのかこれは。

結局僕は「ドミトリーの人たちと割り勘ならいいよ」とか「一緒に宿のスタッフに頼んであげる」とかあの手この手を使ってケチ全開を貫き、ごめんなさいと拒否したのだけれど、やはりその後のドミトリーの居心地が悪い。
というか隣で寝てるけれど、この人今日も泊まるつもりじゃないか。
それなら早急じゃなくてもよかったじゃないか、一体なんなんだ。

海外でのこういった経験はよく耳にするけれど、もしこれがほんとに困っているのだったらと思うとへこむ。
実はそういった詐欺師はほんの一握りで、お金にだらしないというか頓着しない国民性であるがゆえに、お金の貸し借りは茶飯事だったとしたら。
これが島国が育んだ、集団社会における信頼関係の現れだったとしたら…。
こうでも書いておかないとちょっと罪悪感が付きまとってしまう。

Viva La Vida Bali

 

6月10日、一日かけてバリ島に到着した。
バリといったら常夏サンシャインを想像するけれど、僕が着いたときは真夜中で、ぬるい雨が降っていた。
湿っぽいなぁ…。
バンコクで買ってしまった格安ギターはもう運ぶだけとなっており、トッピングでちょっと濡れるくらい。
この日もまた買ったことを後悔しつつ、タクシーで宿へと向かった。

到着すると、フロントで気怠そうに携帯をいじるおっちゃんが。
(タイとベトナムしか行ってないけれど、割と快適なところで働いている人の方がしんどそうにしているような気がする。その分モーターサイの運転手とか、露店販売とか、ほとんど路上で働いている人のエネルギーを強く感じる。)
おっちゃんにお金を払うと、不愛想に鍵を渡される。
英語がよく聞き取れなかったため、「はいはい~、今準備してますよ~、今から部屋案内してくれるんでしょ~、ちょっと待ってね~」みたいな雰囲気を全身から放ち、時をかせぐ。
するとおっちゃんは、「何をしている、早くいけ」と言わんばかりに、ルームナンバーを僕に言い渡し、ポコパンかパズドラだかを再開するのだった。

格安のドミトリー。
ブッキングドットコムで予約したところ、6人部屋となっていた。
いろんな国の人が交わるドミトリーはけっこう好きで、部屋に入る瞬間はドキドキする。
今日の宿はどんなGUYSがたむろしているのだろう。

扉を開けるとそこでは男女が一つになろうとしていた。

意味は察してほしい。
しかも結構薄暗い部屋だったので、扉から何歩か進んだところでやっと気づき、後にも引けない状況へ。
これはまずい、と考える暇はなく、条件反射で「sorry」が口から出ていた。
この時ばかりは謝り続ける人生で良かったと思う。

状況としては、恐らく番号からしてここなのだろうベッドの隣で、ほとんど全裸に近い状態の男女が気まずそうにこちらを伺っているようなかんじ。

おいおいここはドミトリーのはずだけど。なぜカップルがいるんだよぅ。
なんか言うべきだろうか。
「Why are you in this room? 」んん違うな。どこの国の説教オヤジだ。
それともこのハートビートを言葉にしてみようか。
「May I participate too?」
んんん、僕の中の天使と悪魔が激論を交わしている。
「さっきのおっちゃんに部屋を変えてもらうように言うの!」と天使。
「いや、もうちょっと様子を見よう」と悪魔は好奇心が強い。
「何言ってるの!あなたはお金を払っているのよ!」
「黙りやがれ。さっきのおっちゃんに言ったところでどうなる」
「それでも言ってみるだけの…」
「実は知っててあのテンションなのかも。」
若干悪魔が優勢にあ...


『Where are you from?』



突然、凝固してしまった空気に亀裂をいれたその言葉に、僕は耳を疑った。
誰の口から出た。悪魔貴様か?天使貴様か?
「違うでやんす!僕たちじゃないでやんーす!」

となるとカップルだ。
僕は恐る恐る振り返り、彼らに顔を向ける。
するとどうだろう。
COLDPLAYのボーカルそっくりの彼氏がにやにやとこちらを見ているではないか。

美しき生命を予感させるこの状況で、その質問はあまりに素っ頓狂ではないか!?
そんな悠長なことを言っている場合なのか!?
これが海外ってやつなのか!?
カルチャーショックにやられてしまった僕は、「ジャパーン…ジュパーン…」と二回言った。



そんな彼ら(男:イタリア人,女:インドネシア人)ともなんだか仲良くなり、今ではyoutubeでお気に入りの曲を一曲ずつ交互に流し合うという間柄だ。
僕は日本代表として、ひたすら笹口騒音ハーモニカを流しまくったのだけど、かなり反応がいい。
以前アルゼンチン人が笹口騒音ハーモニカを絶賛していたというのを聞いたけれど、ほんとに海外ウケがいいみたいだ。
少々過激な『プロポーズ』という曲を流した後に、なぜかインドネシアの女が、人間がライオンに咬まれる動画をチョイスして、aw..oh...とか、fucking animalとか言ってるときは、一体どうしちゃったんだろうと思いました。


youtu.be

こいた後にドミトリーだと気付く

youtu.be


今日はベトナム最後の日だったけれど、特に何をすることもなくブラブラと町を歩いた。
市内の方はというと、聳えるビルの間から次々と建設中のものが生えているといった状況。デパートなども、到底僕には手の届かない金額を提示している。店内には行儀の良いスタッフ。
片や客を待ち、そのデパートの前で寝ているたくさんのモーターサイドライバー。

数年後、この街はどういった変貌を遂げるのだろう。

市街はすぐ飽きたので、午後からはガイドブックに載ってないところを探索。
5㎞も離れていないところだ。

f:id:eurybee:20160609230539j:plain

f:id:eurybee:20160609230757j:plain

衣類、おもちゃ、薬、野菜、果物、魚、肉…100m圏内で恐らく生活に必要なものは何でも揃っている、密集市場。
全く外国人が見られないことから、どこの国のガイドブックも似たようなところをピックアップしているのだと思う。
…おぉ、これぞ地元としてのベトナムなのかもしれない…とちょっと感動。
早朝、ひっそりとテントを広げ、各々が持ち寄った商品を、所狭しと並べる。今では仲間となった隣の物売りと、何度も交わしているであろう冗談に花を咲かせ、一日が始まる。売れ残ったものは、そのコミュニティで物々交換。収入は少なかったが、帰れば食卓が豊かになる。
うぅ、泣けるではないか。擦れてしまった日本男児は、最後のベトナムで情緒を取り戻せるかもしれないと、必死でシャッターを切る。




ぉおおおぅえええ…!




その時だった。
予期せず嗚咽を現地人の前で披露してしまったのは。
「なんだここ、ぅうえ、くっせぇぇええ」(涙目)。
異国ノ文化ヲ侮辱シテイル!とか、今日に限ってはそんなの知らん。マジ切れするほど臭い。
匂いの発生源をたどると、気温32度程、炎天下にさらされる魚の汁々であった。₍【汁】という量ではない。₎

これは一体誰がどう処理するのだろうか。干からびるのを待つのか。


f:id:eurybee:20160609234102j:plain

f:id:eurybee:20160609234339j:plain

ほんとにグロ注意なので、白黒写真でお届け。

タイでもそうだったが、僕はこの東南アジア人の感覚にだけは異を唱えたい。
ナチュラルと不潔は違うんだぜ、と。
たしかに野菜や肉など、ケミカル物質が使われている量が比較的少なくて、より自然に近い状態で売られているものが多いと思う。
しかし、それはそれだ。
魚の汁々や、客が飲み残したビールを路上にぶちまけるのは話が違う。それはナチュラルではない。ただの不潔だ。

よく旅行者なんかを見ていると、こういった現地人の様子に、「ワーオ!これが東南アジアだよ!」なんて感嘆しているけれど、他人事を言うな、健康の心配をしろ、と怒りたくなる。
僕の中にも「物価が安いから」という短絡的な深層心理で、東南アジアの人々に対して、蔑みを抱いていることが少なからずあるような気がする。
そのくせ我々旅行者は、マーケットで高値を付けてくる商売人を一蹴する。
この中に大富豪が遊びで「RayBan」のサングラスを混ぜても、絶対に気が付かないのだろう。商品とはそういうものだ。誰がどこで売るか、それだけだ。

だからこそ言いたい。
ちゃんと清潔にしましょうよ、と。
やりすぎはいけない。コンビニ企業等はすべからく清潔を目指し、生命を犠牲にしているため、そこまでは意識しなくてもいい。
ただ臭いだけは注意してくれ。臭いはほとんどすべての気力を腐らせてしまう。
接客は彼女へのプロポーズだと思ってくれればいい。
あなたには相当な魅力があるのは僕も知っている。
あとは、どこでするかなのだ。キムチを壁に塗りたくった部屋で婚約指輪を渡す人がいるか?いないと思う。小綺麗なレストランや、清掃の行き届いた船上テラスでプロポーズされてこそ、相手の喜ぶ顔を見ることができる。

地元コミューンを破壊創造するつもりはないのだけど、もしかしたら隣の人も「こいつくっせえぇ」と思ってるかもしれないし…とにかく悪臭だけは禁物だ。

ちょっと熱くなってしまったけれど、僕はまたベトナムにいつか訪れたいと思っている。この国を通して、日本にはこうあって欲しいというところをいくつか確認できた。
帰ったら空気たくさん吸う。