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川上カーマスートラ

海外での生活

花柄のランタン ホイアン回想

ランタンの町ホイアンは、ベトナムでは一番居心地が良かった。

バスでフエから向かったのだが、車内で偶然ハノイで知り合った男の子に遭遇する。
日本で例えれば、長距離バスの途中、神戸あたりで鹿児島の知り合いに遭遇するといったところだろうか。

14時、到着するやいなや「Hi! Ryo!」と声をかけられ、今度はダナンでテキーラゲームを一緒に楽しんだオーストラリアの女、Mikaと再会。何というたて続きの偶然。
ダナンからバイクで約60km走ってきたらしい。
「おお、おまえか!飲酒運転じゃあねぇだろうなぁ!?」とイカしたジョークをかます。彼女とエキゾチックなホイアンの夜を楽しんでもよかったが、生憎お互いにお腹が空いてしまったため、「See you later.」とその場で別れる。

ひとり、目前にあった賑わいを見せている店に入ると、目につくのはそのテーブルだ。
人種も年齢も異なる人々の証明写真の数々。

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一体これはどういう意図があるのだろうか。
共通点をあげるとすれば、全員成人であるということ。
そして、僕が言うのもなんだが、社交性に欠けていそう。
となると、、ははーん、さてはこれはベトナム式の出会い系喫茶だな。
気に入った男女の写真の後ろに連絡先と値段が書いてあり、客は”たまたま”この店で証明写真を拾ったというていでアポイントをとるため、風俗法には違反しない。
仲介料としてバックからマージンが入る。どこの国もよくできた仕組みがあるようだ。

血眼になって好みの女の子を探す。

僕のタイプの子を一応書いておくと、ショートカットでスレンダーで甘えてこない。乃木坂46で言えば橋本奈々未ちゃんだ。
橋本奈々未ちゃんはどこだ、橋本奈々未ちゃんはどこだ。
が、途中エスパー伊藤に似た男を見つけ、その漂うやるせなさが見事に伝染し、自責の念にかられる。
こんなひと時の欲のために海外に来たのではない。
僕は断腸の思いでメニュー表を開き、見知らぬ男を永遠と待つ女の子たちを覆い隠した。
バイン ミーというベトナムのサンドイッチを注文する。


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このサンドイッチがまたおいしく、すぐさま2つ目を注文。
口に残ったフランスパンによる渇きと、程よいビーフの油をビールで流し込む。
くぅぅぅうううううう
日本に帰ったらしっかり働こう。

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さて、今どこなんだここはと地図を広げると、お店の名前が記載されている。
なんだこんなちっぽけな店が、と内心小馬鹿にしていたのだが説明書きを読んだところ、ベトナムで一番バイン ミーがおいしい店として有名らしい。
大抵のアジアのそういう店は”自称”の可能性が高い。しかしこの店、海外メディアに取り上げられたほどらしく、何か証拠を…と店内を見渡すが、それらしきものはない。

ここで気付くのだ。
この証明写真が確たる証拠なのではないかと…。

時はこの店がオープンして間もない頃に遡る。
韓国のシルク工場で働く若手リーダーのセロンは、言うことを聞かない部下にうんざりしている。私、これからどうすればいいのかしら…。
そんな悩みを抱えながらのホイアン出張中、たまたま休憩時に立ち寄ったこの店で、彼女は至高のサンドイッチと対面する。
ベトナム人たちの柔らかい発音が、昔聞いた懐かしい声と重なる。
そして一口かじると、ふと田舎の母に肩を叩かれたような気がする。
次の瞬間とめどなく涙が溢れてきた。
いいのよ、抱えていたものをすべてここに置いていきなさい。
セロンは我を忘れてサンドイッチにかぶりつく。
マナーなんて関係ない。皿に飛び散ったパン滓までべろりと嘗め回す。
そして言うのだ。

「私は責任から逃れたくないわ。韓国に帰る前に、この味の責任者になります」と。

そうして彼女は持参していた証明写真をガラスの間に挟み込む。

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また彼の名は伊藤。
日本から来たほとんど無職の56歳。思い出も消え去った真っ暗な人生を記憶から取り戻そうと、導かれるがままに光の都へと訪れた。
小さいころから周りの人々を笑わせることを喜びとしており、近所でも名の知れたひょうきん者だった。
高校を卒業した後は、見事それで稼げるような職にありつくこともできた。
お笑い芸人だ。
一風変わった芸ながらも、手探りで切磋琢磨していたその努力が認められ、地方に営業に行くこともたびたびあった。肉体的にはややハードではあったが、彼のすべての青春はこの時代にある。街頭に照らされながら四畳半で飲む感ビールは、明日へのやる気へとつながっていた。

テレビにも出るようになったが、知名度が上がっていくにつれ、心を蝕まれる。
「一体なんなのアイツは」「えがちゃんの劣化版」と、道を歩けば自分より年下の見知らぬ人々に罵られるような日々だった。

俺が貴様らに何をした…
テレビの中は処刑台か…?

転落は一瞬だった。人生は山に例えられない。山はもう少々緩やかなはずだ。そして迷える時間がある。
地下のライブハウスでも故人扱いで、気が付けば月の収入は3000円あればいい方。
それを賄うために、深夜は通販のテレフォンオペレーターとして働いた。

ここなら誰にも俺の顔を見られない…
仕事としてのクレームなら、苦痛を感じることはない…

そうして闇の心地よさに身を委ねるうちに、本業であるはずの芸人としての収入がついに0になった。

まぁ、オペレーターは本腰入れて日数入れれば稼げるから、いっか…


時は過ぎて彼はホイアンにいた。
二十、歳が離れる職場の女性が連休を使って行ってきたという話を小耳に挟み、その日、ツアー会社へと連絡したのだ。
彼女は彼の好意に気付いていたが、知らないふりを通していた。興味が無いと言ってしまえばそれまでなのだが、あえてその理由を挙げるとすれば、どこの雑誌でもやっている婚活特集のアンケートとなんら変わりない。
歳が行き過ぎている、顔に清潔感がない、収入が少ない、そしておもしろくない。一つでも該当するものがあれば、現代の日本では結婚へのハードルが著しく上昇するのに、彼の場合これらすべてを兼ね揃えていた。

特に結婚願望があったわけではないが、ただ彼女との共通点が欲しかった。
ホイアンに行ったことがある」という共通点は、女性との会話の種としては十分だろう。意気投合し、食事に行くなんてこともあるかもしれない。
2泊3日のパックツアー中、彼女にお土産を買うべきか、買わないべきか、それだけを考えていた。もしかすると同じものをこっちですでに購入しているのかもしれない。
どれにしようと堂々巡りを続けていると、頭の使い過ぎで腹が減った。

目の前にあった店に入り、おすすめの星印がついているメニューをぞんざいに指さす。
食べ物は彼にとって習慣でしかなかった。
空腹を感じたら、胃に何かを補充する。車と同じだ。年季の入ったボロ車にガソリンを入れただけで、性能が上がるわけではない。
休日に、エネルギーを消費してまで人気のカフェとやらに並ぶ人々が羨ましく思う。
明日にはまた腹が減るのに、どうしてあいつらは幸せそうなんだろう。

サンドイッチがテーブルに置かれた瞬間、「はーい」と言いながら口に運ぶ。
味がした。
彼は舌の感覚が狂ってしまったのではないかと思い、二口目、三口目を次々と試してみたが、結果はやはり同じだった。
舌が笑っている。こんなにうまいものは食べたことがない。

この感覚が何かに似ていることにすぐ気がづいた。

「このサンドイッチは、あいつが悩んでいる時に、どうにかして笑わせてあげようと必死だった頃の俺だ。」

30年程前、AVの仕事でそれなりに知名度もあった彼女とは、地下のライブ会場で出会う。
その日トリを飾った彼はドン滑りしてしまうが、唯一笑ってくれたのがその彼女だった。単純に笑いのツボが合ったのだ。

「彼女を笑わせられるのは俺しかいないかもしれない」

以降付き合うことになり、彼女が仕事で参っている時は、地方営業の合間にも連絡を入れて、笑顔を取り戻そうと努力した。
辛い仕事なのは理解している。理解しているのは頭だけだとわかっているから、笑わせることしか出来なかった。

ある日休みが重なり、2人は渋谷にデートへ出かけた。
その頃伊藤の方はまだ知名度もそこまでなかったので、変装はしていなかった。
彼女の方は、黒いニット帽を被り、マスクをつけていた。
ひと時の安堵からか、会話も緩やかで、万事はうまくいっていた。

エイズはよ死ね」

振り返れば、大学生と思しき二人組の男がこちらを見ながら駆けていく。
追いかけて殴り殺してやろうかと思ったが、隣にいる彼女をほっとくことも出来ない。
実際こんな現場に居合わせた場合、どう声をかけてやるべきか見当もつかなかった。
うつむいた彼女は今、何を考えているのだろうか。

「辛ければ仕事やめてもいいんじゃないかな」

その夜、彼女は首を吊って自殺した。



彼女にとって俺は一体どういう存在だったのだろう。
伊藤はサンドイッチを頬張りながら考える。
あの時どうしていたら彼女は元気を取り戻しただろう。

サンドイッチが答えを知っているような気がする。
誰かに記憶を与える味。
初めて彼女が笑ってくれたのはいつだっただろう。
誰にも共有できない感覚をもたらす味。
誰かを喜ばせるってどういうことなのだろう。

気が付くと皿には何も無くなっていた。
皿には何も無いのに伊藤の中には彼女がいた。
今サンドイッチを完食し、幸せかと言われると分からない。
けれども、彼女を幸せにしたかったときのことを思い出せるこの瞬間は、悪いものではないだろうと伊藤は思う。

56歳にしてテレフォンオペレーターの正社員面接を受ける予定だった伊藤は、バッグからおもむろに履歴書を取り出し、証明写真を剥がす。
そして証明写真の裏に「誰かをもう一度笑顔に!」と書き込み、ガラスの間に滑り込ませるのだった。



異国の地で、ある人には母を思い出させる味。
そして、ある人には生きる喜びを思い出させる味。

数多くの証明写真の裏には、連絡先と値段ではなく、それぞれの人生が書かれているのかもしれないが、確認はとれていない。




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