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川上カーマスートラ

海外での生活

クアラルンプール

7月12日午後、ベトナム再来。

空港を出たとたんに、たくさんのスクーターが。
入れ替わり立ち代わり、バスを護衛されているようなフォーメーションのまま、サイゴンに到着する。
バスを降りた途端、護衛隊はレジスタンスに変身し、道路を渡れば「死にたいのか!」とクラクションを鳴らされる。

ムッと暑さに締めつけられながら、でこぼこの歩道を歩き続けるが、ここでキャリーケースのタイヤがいよいよ大破。
道を囲む露店のおじちゃんおばちゃんたちは、ガリガリ響く荷物の音などまったく興味がないといった態度で、僕に何かしらを売りつけようとする。
排気ガスで黒色に染まった彼らの指を見ながら、1か月ぶりのこの国を懐かしく思う。



なんでまたベトナムにしたかは、航空券が安かったからというのが第一の理由だが、けっこうこの国が好きだからというのもある。

この前北のハノイから南のサイゴンまで縦断してみたけれど、様々な顔を持ついくつもの町がそれぞれ歴史を主張しているようで、ひとつの国としてみると重みを感じた。
歴史に詳しければもっと実りのある旅ができたのだろうけれど、少なくとも思ったのは、一つの国の歴史は一つではないということ。

今でも悲しみを内包している町もあれば、前進あるのみの町もある。
文化を堅守しようとする町もあれば、商業化していこうとする町もある。

個人的なお気に入りはハノイ
一応首都ではあるのだけれど、経済的に発展していくサイゴンと比べたら華やかさに欠ける。
決して地味ではなく、それなりに観光地化もしている。
けれどもどういったわけか、街としての雰囲気が暗く、ナイトマーケットや路上ライブをやっているのだが、「はっちゃけちゃってごめんなさい」みたいな、歴史に謝っている感が垣間見える気がする。
親(ホーチミン先生)の目を盗んで、おやつかじっちゃってごめんなさい、みたいな。
もちろん気のせいなのかもしれないけれど。
これまでの歴史と資本主義の間で揺れる、葛藤みたいなのがハノイにはあると思う。



マレーシアはどうだったかというと、それなりにいい経験だった。

僕は引きこもる宣言をしながら、部屋にいるのもすぐに飽きてしまって、宿の周辺を歩き回った。
歩く人々の格好が多種多様で、マレーシア人なのかインド人なのかアラブ系人なのか、全く見分けがつかなかったけれど、それもそのはず、東南アジアきっての多民族国家らしい。
ちょっと離れたところにはチャイナタウンもあり、25%を占めるという中華系の人々が凝縮されていたその地区は、かなりやかましかった。

僕が話したり、世話になった人たちは、国民の6割を占めるというイスラム教である可能性が高い。
ナンカレーをひたすら右手だけで食べてたら(イスラム教では左手は不浄の手とされる)、隣のおっちゃんが「お前、グッ!俺が飯代払ってやる」と、奢ってくれそうになったり、はたまた駅では、「買い物袋下げてるから、代わりにチケット買ってくれ」とお金を渡されたりと、とにかく気さくだった。

極一部の過激派連中のおかげで、迷惑を被っているこの宗教の信者は、接してみるとかなり温厚で穏やかだ。

宿にはシリアから来たという人もいた。
それを聞いたとき僕は言葉を失ってしまった、というか、聞いてみたいことの英単語をまったく知らなかったために、沈黙してしまった。

普通に接していると、どこの国の人とも変わらない、いい人なのだ。
いい人が国にいられないって、本当に異常事態だ。



話はかわるけど、インドに行ってみたい。
もはや計画もクソもなくなってしまったため、期限である9月までは、行かないで後悔するようなところは残したくない。
そもそもタイトルにカーマスートラついてるし。
ちょっと考え中。


クアラルンプールの写真。

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