川上カーマスートラ

海外での生活

酔い街

カンボジアへ来て、久しぶりの日本人宿にテンションが上がっていたのも束の間、12時出発のミニバンでバンコクへ向かうことに。
早朝、急遽手に入れたミニバンのチケットは13ドル。
片道8時間の旅にしては安いけれど、他の東南アジアと比較すると、全体的に物価は高かったような。
それでも良心的な日本人宿(泊まらなかったけれど遊びに行った)ではビールがジョッキで0.5ドルという安さ。
だからシェムリアップに沈没者(一つの宿に留まり続けること)が多いというのはわかる気がする。
アル中の僕の友人も、ここに長期で滞在していたらしい。


必然的に、宿から送り出される形となり、旅行代理店の手配してくれた車の向こうでみんなの顔が遠ざかっていくときは、少し寂しかった。
バンコクで一番初めに泊まった日本人宿を思い出すけれど、その宿を今目指そうとしている。

そこに行くのは、ただ友達を作りたいというのもあるけれど、最近、国内外問わず、友達の存在が僕の世界を拡張してくれているなと思うからだ。

その人がいるから〇〇に行きたい。〇〇(例えば茨城)なんていつもは意識の外にあるものなのに、その人の存在によって、なんか身近なものに感じられる。
あるいはその人の問題意識を聞いてみる。今まで聞いたこともなかった社会の闇が、自分の見ていた社会の浅さを知らせる。

特に前者のような広げ方ってけっこうアリだと思う。
さらに自分で赴いてみるとなおいいなんじゃないかと思う。その土地のこととか、そこで見つけたものとかを、調べてみたくなるし。
簡単に知ることなんてできないけれど、とりあえす意識の内側へ取り入れることは、意味があるように思える。

「出会い」とか「つながり」とかって、結構空々しく聞こえるけれど、会いたくなる人が世界のどこかにいるって、自分の世界が広がるということとイコールのような気がする。



実はバリでお世話になったファームの息子さんが、たまたまバンコクに滞在中らしく、到着したら落ち合うことにしていた。
18歳の彼は、今回初めて旅らしく、沖縄を目指して北上していくらしい。
その心細さを和らげるため、最高の宿「long luck」に招待しようなんてことも考えていた。
そこで友達増やして、この子もまたどっかで誰かと再会してほしい。

合流の時。少しの間しか離れてないのに、異国の地で再開すると、喜びもひとしおだった。
ファームで僕が下痢を漏らしたのを、知っているのか知らないのか定かではないが、なんとなく気恥ずかしい感じ。
「カオサンロードを見てみたい」との希望だったため、タクシーに乗り目的地まで飛ばしてもらう。

連日のテロの報道を得てか、久々のカオサンロードは、警察か軍の関係者に入り口を制限されており、少し物々しい雰囲気になっていた。
「なんか想像していた“ザ・自由”という雰囲気とは、若干異なりますね」
僕もなんとなくそんな感じがしていた。2か月前とは明らかに様子が違った。

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どこにでもあるテロの脅威で、海外旅行者は減少の傾向にあるというけれど、別に観光地とか繁華街とか回らなくてもいいと思う。危険だし。
それじゃもったいないというのも分かるけれど、それよりもお酒を飲もうよ。
宿ではじめましての人同士が世界を共有するのを見ていると、沈没しながらはじめましてを繰り返す滞在もいいものなんじゃないかなーと思う。
と、自らを肯定し、沈没スイッチをONにする。
バンコク再会がスタートする。(7月18日~)