川上カーマスートラ

海外での生活

バルス

ベンメリア。
一説では、「天空の城ラピュタ」のモデルになったともいわれている、崩壊のヒンドゥー教の遺跡。
石と石の間から芽を伸ばす植物群の生命力が、新しい形となって、この遺跡を生き返らせている。
死んだ寺院から観光地への輪廻転生。


7月16日。

目が覚めると、心臓が収縮した。
やっちまった。ベンメリア行く人探してない。
隣のドミトリーを開けてみると、大学生がつまらなそうに漫画を読んでいた。

「昨日はマジごめん、寝たわ。」
「それはいいけどどうしますか」

……っなんだこの野郎、あからさまに「人を探して来い」のニュアンスじゃないか。
僕の人見知りを知っておきながらのこの発言は、悪魔としか思えない。
自分で人探しします宣言しておきながら、憎悪をむき出す。

アンコールワットがあるこの地では、車かトゥクトゥクを一台チャーターするのが一般的で、その一台分の代金を乗員で割り勘するのが一般的となっている。
だから、定員はあるけれど、多ければ多いほど一人分の負担が軽減する。

幸いシェムリアップには日本人宿が密集しているので、メンバー探しに赴こうと思えばすぐにでも行ける。
だがしかし、ドアを叩いて、打ち解けて、尚且つ当日に、観光に連れ出すという高等技術が僕に可能だろうか。


出来ないと直感した。


なので、最悪僕が多めに出してもいいから、とりあえず二人でもいいじゃないかと、その辺で寝ているトゥクトゥクのおっちゃんに片っ端から声をかけることにした。

「すいません、ベンメリアまでいくらですか。」
「27ドルだ」
「往復ですか、往復ですか?」
「……、往復だ。」

この溜めに、着いてから片道27ドルと言い出すぼったくりっぽいものを感じたけれど、相場と比べてもなかなかいい値段ではある。
12時に出発予定なので、それまで寝ててくださいと伝え、宿に戻る。

「K君、早く準備を始めてくれ」
「見つかったんですか、人」
「そうじゃない、安いトゥクトゥクを見つけた。一台27ドル。どうだ、君にはこんなことできないだろう」
「いいですね」

大学生がそう言って伸びをしたその時、視界の片隅で何かが蠢いた。
僕が忍たま乱太郎の戸部先生だったら、その物体は一瞬にして屍となっていただろうけれど、幸い僕は忍者じゃなかった。
屍とか言って申し訳ないが、その人は明らかにさっきチェックインしたばかりの男性だった。

「あ、すいません、起こしちゃいましたね…」
「いえいえ、いいんです。どこか観光行かれるとかですか」

僕が忍たま乱太郎兵庫第三協栄丸だったら、彼は一瞬にして一本釣りされていたけれど、僕は幸い海賊でもなかった。
誘ってもいいものだろうかと考える。

「ベンメリアに行こうと思ってまして…。実はですね、乗り合いのメンバー探してるんです…」
「楽しそうですね。何時からですか?13時からとかだったらご一緒したいですが」

こういう柔軟性を持っている人ってどこに行っても楽しめるんだろうなと思う。
時間はともかく、快諾してくれたその人こそ、朝から酒を酌み交わす仲になったNさん。
35歳で、休暇を利用して世界遺産を見に来たらしい。

「ちょっとトゥクトゥクのおっちゃんに寝ててもらってきます」
「なんですかそれは」

おっちゃんとの交渉もすんなり成立し、僕たちは出発に備える。



道中の砂が半端じゃなかった。トゥクトゥクだから仕方ないけれど、乾いた砂塵が目に張り付いてくるのを感じる。
鹿児島県民だったらわかると思うけれど、灰が降っている時に原付で疾走するような感じ。めちゃ痛い。

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到着は15時になろうかというとき。
「おまえら、まだ地雷が埋まっているところもあるから、絶対に敷地内には出るな」とおっちゃんに言われ、急にサバイバルの様相を呈してきたけれど、入り口を抜けるとそこには、人間の愚かさすら矮小化してしまうような、自然による浸食が広がっていた。

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崩れている石に、円形の穴が多々みられるけれど、これは何か接合部だろうか。
だとしたら、崩れた原因に直接的な関係があるような気がする。

ベンメリアは11世紀から12世紀の間に建設され、設計者は不明らしい。
今では日本人観光客のホットスポットとなっており、シェムリアップを訪れた人は、ほとんど行っているといっても過言ではない
もしかすると設計者は、接合部に利用した木が朽ちるのを知っており、さらには現代日本人の価値観を予測し、このような神秘的な設計をしたのではないのだろうか。


だとしたら設計者は、フリーメイソンの可能性がある。
フリーメイソンの創設がいつからかは知らないけれど、奴らは秘密裏に財を吸い上げ、ひとり占めにする癖がある。

歴史は彼らに計算されていて、はるか昔から未来の勝者に捧げる富を、着々と築いてきたのではないか。
しかももともとのルーツが石工だったというからなおさら可能性は高い。

と、いうことは…、だ。

もしかすると宮崎駿も実はフリーメイソンなのではないだろうか。
売れに売れた映画では飽き足らず、静かにカモとなった観光客をあざ笑っていたりしたら…。

まずい、これは世界遺産を管理しているユネスコとやらを徹底的に調べなければならない。

そしたら、実は世界遺産はすべて未来の管理側のために準備されたもの、ということになってたら、どうしよう…。



いや、それでも構わない。
たとえ手の平で転がされていても、財を吸収されていたとしても結構だ。

僕はベンメリアに感動し、この地をいいなと思い、一緒に行った人たちをいいなと思った。
また会いたいと思える人、また来たいと思える場所が広がることは同時に、僕が好きになれる世界が広がることにつながるような気がするからだ。

フリーメイソンよ、フリーメイソンよ、フリーメイソンよ。



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沈黙

日本人宿に泊まっていると、時間があっという間に過ぎていく。
かなり間が空いてしまったけれど、やっぱり生きてます。

7月15日。
大学生とチャリンコでアンコールワットを見に行ったけれど、体力の差に愕然としてしまった。
まず、僕の提案で真っ昼間の13時発にしたのが間違いだった。
風はあるのだけれど、あつあつのフライパン上を疾走しているようで、まぁしんどい。
大学生に追いつこうとするのだけれど、2分後には10m後退の繰り返し。
「そんなに急いでも世界遺産は逃げないよ」と軽口をたたいてみたところ、「一日券が17時30分までらしいですよ!」とのこと。
なるほど、夜は夜でライトアップとかされるものとばかり思っていたけれど、やはり世界遺産。そんなチャラいものではないらしい。

てことは急がなければならない。
とりあえず水を買っていいかい、と提案し露店にて「アイスクリームを奢ってあげよう」と胸を張ったら、「急ぎましょう」とのこと。

やっとたどり着いたチケット売り場で顔写真入りのワンデイパスを入手し、さぁ見学だと思ったら、またそっから4kmほどあるとのこと。
何やら森の奥にそれはあるらしい。
期待度と比例して疲労もたまっていく。

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遺跡のある一画へは、よく見る写真の後方からたどり着いたらしい。
周囲が池となっており、その向こう側で木々に囲まれているのがアンコールワット
距離は長くなってしまったけど、後ろから回ったのが、正解だったと思う。
この池がずっと存在しているものなのか分からないが、明らかに向こう岸の雰囲気が不気味だったからだ。
ツアーとかだったら、この不気味さを感じることは無かったかもしれない。

初めてこのアンコールワットを発見した探検家は、さぞかし恐怖を抱いたのではないかと思う。
というのも、正方に囲んでいる木々の不気味さと、遺跡本体の美しさが、あまりにもアンバランスだったため。
恐怖の感覚の後に、美しいというか、荘厳なものを目撃すると、畏怖の念を抱くんだなぁと思った。

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正面からの遺跡は、やはり言葉にならない迫力があった。
昭文社の書籍で世界遺産人気ランキング一位になってたので、ハードルが上がっていたけれど、やっぱり本物を見ると圧倒される。

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※赤い服着た人は、めっちゃ美人な台湾人さん。

隣のアンコールトムも見てみた。
バイロン寺院はアンコールワットの方よりも渋い感じ。
ごろごろ石が横たわる、破壊の寺。

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タプロームは、やはり時間が間に合わず入場できず。
「川上さんがアイスクリームとか言わなければ」と憎まれ口をたたかれたため、
「まぁいいじゃないか。今日のうちに誰か日本人見つけるから、明日乗り合い(割り勘)でベンメリア行こうよ。」と起死回生をはかった。
それから帰り12kmの道中で翌日の計画を練ったけれど、結局、極限まで達していた疲労により、ビール飲んですぐ、死んでしまった遺跡のように夢に沈下していった。

大学生、ごめんなさい。

あっけない国境越え

愛しのベトナムを去り、ついにカンボジアへ。
といっても当初合流予定だったこちらの友人は今日本にいるらしく、一人で行動することになりそうだ。


サイゴンからは、陸路から入国できるので、せっかくなので国境越えを経験してみることにした。
前日、バックパッカー街の旅行代理店でバスを探しチケットを購入。
サイゴンをAM8:30に出発し、シェムリアップにPM5:30到着予定。
値段は500000VND(2500円くらい)。これにカンボジアのビザ代が35ドルなので、合計で6000円くらい。

がんばって早起きして、バス会社へ向かう。
ネットで13時間はかかると書いていたけれど、ちょっとグレードアップしたから9時間で着くのだろう、と優越感に浸りながらバスに乗り込む。
いざ出発。

出発直後、車が停止する。
何事かと思い外を覗けば、ローカルな市場が広がっており、朝日を浴びた鮮やかな野菜、果物が広がっていた。
繁華街を少し離れればこんな風景が、サイゴンにもまだ残っているのだな。聳え立つビル群の陰に、生きた生活があった。
さて、運転補佐みたいな人は慌ただしく外に出て行ったけれど、どうしたのだろう。

乗客の視線の的となった彼は、おやつや飲み物を抱えながら子供のような笑みで帰ってくる。
一瞬、配られるのかなと安易な期待を抱いたけれど、期待に終わるようだ。
運転手に、「さぁ出発だぜ」みたいなことを呼びかけ、おもむろに菓子袋を破りだす。
脱北とか、亡命とかの映像を見ているから、かなり厳戒態勢の中、緊張状態を維持しつつ行われるものだと思っていたけれど、遠足のようなテンションで国境越えに挑むことになりそうだ。

それはともかくちゃんと前向いて、安全運転を頼みますよ、といささかの緊張感はあった。
10分後、また停止する。

今度はなんだと思い、車窓から一面に広がる田畑に目をやる。
視界の片隅で運転手が立っションをしていた。

…これは本当に9時間で辿りつくのだろうか…。

バスの中は、欧米人が5人と、中国人1人、ベトナム人4人といった具合。
たまたま近くに座ったノルウェーの青年が、ギターを携えており意気投合する。
見るからに北欧系の人だなと、こちらは気付いていたけれど、彼は僕に「Where are you from? Canbodia?Vietnam?」と尋ねてくる。
おいおいおい、二択かよと思う。

この間も欧米の人に尋ねられて、「Japan」と言ったら、「は?」みたいな顔されたのだが、何が原因か全くわからない。
発音寄せにいって「ジュペェン」気味に言ってみるけれど、いっこうに通じる気配がない。
顔か。

たまたまノルウェーの青年が村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでいたため、「オー!ムラカミ!アイムジャパニーズ!」と答えたらすんなりと伝わった。照れ臭そうに「アイムソーリー」と言われたけれど、まったくだと思う。



12時30分、ようやく国境に到着。
この時点で4時間経過している。

地図を見てみればわかるけれど、絶対にあと5時間では着かない。

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これが国境付近。

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さて、ここからが山場だとまわしを締め直し、国境越えに精神統一する。
情報によると、40分から1時間かかるらしく、厳密な審査を通り抜けたうえで、ようやく隣国への渡航が認められるようだ。

いよいよ手に汗握る出国審査へ。

荷物をまずX線に遠し、危険物はないかチェック。
そこを通り抜ければ、ビザの確認。異常がなければカンボジア側での入国審査が許される。

スムーズにいき、「カンボジア側までバスで移動です」とのことなので乗り込むが、そこで例の遠足補佐にパスポートとビザ代を回収される。



「よおぉおおし!じゃあ、みんなでお昼ごはんに行くぞ!」

緊張状態の続く車内に突如放たれた「lunch time」というワードを理解するのに少々時間がかかった。
何を言っているのかさっぱり意味がわからなかったけれど、隣の人に聞いたらどうやら、「代行でビザ獲得しとくからその間にカンボジア側で飯食っといてくれ」とのことらしい。
おいおい、もう越えちゃってもいいのかと呆気にとられているうちに、もうカンボジアだった。



カンボジア側は途端に道が悪くなり、バス自体が電マのように小刻みに、しかし力強く震え続ける。
弱中強でいったら中くらい。

左右に続く高床式のカンボジア住居を眺めていると、僅か3、4kmの距離でこんなにも風景が変わるのかと驚いた。
その僅かな距離で、言葉も通じなくなるのだろうか。
人間を囲い込む国家の偉大さを感じた。



19時30分。
当初の予定を2時間オーバーし、シェムリアップに到着。
到着後すぐにカメムシにとまられ、首筋がめっちゃ臭くなる。
臭いまま日本人宿を探す。
そこで知り合った大学生と次の日アンコールワット行くことになった。

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谷本真奈美(仮名)

和辻哲郎の「風土」という本がなかなか読み進められない。

そもそもバリ島のビーチで読めるような本ではないことに気付き、そのころからずっと小説に飢えている。
バリ島でまさかの角田光代空中庭園」を発見し、鹿児島でも彼女が今アツいようなので迷わず購入。

読み終わって、昔家の掃除をしていた頃を思い出した。
これは、僕は平気なのだけれど、どこまで書いたらいいのかわからない。
あれはたしか年末だったと思う。

何故かわからないけれど親の部屋を掃除していた。

箪笥の上のホコリをとろうと思って、重ねられていたお中元か何かの箱を取ったのだけれど、それののしに、見覚えのあるようで、見覚えのない名前があった。

「谷本真奈美」(仮名)

なんだこれは。
真奈美(仮名)はたしかに僕の母親の名前だけれど、谷本ってなんだ。
川上じゃないのか。
母の旧姓は稲本(仮名)。(ちょっとわけわからなくなってきそうだけれど、プライバシー保護のため…)

稲本真奈美なら理解できる。
母が結婚する前にもらった物かと納得がいく。
しかし谷本とは一体。

高校生にして、母のバツイチを疑う。

「おかーさん、谷本真奈美って何ー?」

デリカシーに欠けているのは誰の遺伝なのだろうか。
二階から叫ぶ。

母は無言のまま二階に上がってきて箱を見つめ、「さぁ、なんだろうね」と、疑う余地有り余るリアクションをしたけれど、どこまで掘っていいものなのか。
心の準備は整っていない。
いや、家系図を鑑みて明らかに突然変異の、このヒゲの濃さの原因を突き止められるのならば、なんだって受け止めよう、とすぐに準備は整った。

さぁ来るならこい。僕のヒゲの濃さは谷本ゆずりなのか。

しかし母はそそくさと掃除を続けてしまった。

何か思い出しているのだろうか。
告白しようか迷っているのだろうか。
それとも、本当になんでもないただの思い過ごしなのか。

事実は知らない。
だけどそれは、別に知ってもいい事実ではある。

しかし反対に、小説に出てくるような、実母を殺してやりたいほど憎んでるとか、娘くらいの女と不倫してるとかは、知らなくてもいい事実。

思ったのは、知らなくてもいい事実には気付かないふりをするべきだけど(気付かないのが一番いい)、知ってもいい事実には気付いちゃったふりをするのがいいのかもしれない。
これはかなりナイーブな問題で、息子のエロ本問題とかには、絶対口出ししちゃだめだが、ようは受け入れる側の気の利かせようだと思う。
「もうこの歳だし、バツイチとか全然驚かんぞ」とか言われたらいやだろうか。
そっちの方がたぶん家族としてはお互い楽でいられるような気がする。

勝手に母をバツイチにしてしまったけれど、角田光代さん、面白い作家さんだなと思った。


場所は変わり、ベトナムでは伊坂幸太郎の「オー!ファーザー」を発見。
とにかく小説だったらなんでもいいやと、古本屋で数少ない日本書の中から見つけたのだけれど、これまた家族の話ではないか。
今読んでるところまでざっくり言うと、主人公の高校生男子に父親が4人いて、それはなぜかというと、母が妊娠した時に、その4人の男と付き合っていたからという、かなりむちゃくちゃな内容。

もう一冊は日本で買ったけれど封印していたSF小説
人工知能と、人間の死の話。
序盤から研究者である主人公が大病で死にそうになりながら、「脳をコンピューターで管理して、感覚をコントロールしたら痛みから逃れられるんじゃないかしら」、「もっと言えば、脳が生きていると思えたら、それは生きているということなんじゃないかしら」、と狂気の研究を続けているところ。後半どんなふうにひっぱるのか楽しみ。

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クアラルンプール

7月12日午後、ベトナム再来。

空港を出たとたんに、たくさんのスクーターが。
入れ替わり立ち代わり、バスを護衛されているようなフォーメーションのまま、サイゴンに到着する。
バスを降りた途端、護衛隊はレジスタンスに変身し、道路を渡れば「死にたいのか!」とクラクションを鳴らされる。

ムッと暑さに締めつけられながら、でこぼこの歩道を歩き続けるが、ここでキャリーケースのタイヤがいよいよ大破。
道を囲む露店のおじちゃんおばちゃんたちは、ガリガリ響く荷物の音などまったく興味がないといった態度で、僕に何かしらを売りつけようとする。
排気ガスで黒色に染まった彼らの指を見ながら、1か月ぶりのこの国を懐かしく思う。



なんでまたベトナムにしたかは、航空券が安かったからというのが第一の理由だが、けっこうこの国が好きだからというのもある。

この前北のハノイから南のサイゴンまで縦断してみたけれど、様々な顔を持ついくつもの町がそれぞれ歴史を主張しているようで、ひとつの国としてみると重みを感じた。
歴史に詳しければもっと実りのある旅ができたのだろうけれど、少なくとも思ったのは、一つの国の歴史は一つではないということ。

今でも悲しみを内包している町もあれば、前進あるのみの町もある。
文化を堅守しようとする町もあれば、商業化していこうとする町もある。

個人的なお気に入りはハノイ
一応首都ではあるのだけれど、経済的に発展していくサイゴンと比べたら華やかさに欠ける。
決して地味ではなく、それなりに観光地化もしている。
けれどもどういったわけか、街としての雰囲気が暗く、ナイトマーケットや路上ライブをやっているのだが、「はっちゃけちゃってごめんなさい」みたいな、歴史に謝っている感が垣間見える気がする。
親(ホーチミン先生)の目を盗んで、おやつかじっちゃってごめんなさい、みたいな。
もちろん気のせいなのかもしれないけれど。
これまでの歴史と資本主義の間で揺れる、葛藤みたいなのがハノイにはあると思う。



マレーシアはどうだったかというと、それなりにいい経験だった。

僕は引きこもる宣言をしながら、部屋にいるのもすぐに飽きてしまって、宿の周辺を歩き回った。
歩く人々の格好が多種多様で、マレーシア人なのかインド人なのかアラブ系人なのか、全く見分けがつかなかったけれど、それもそのはず、東南アジアきっての多民族国家らしい。
ちょっと離れたところにはチャイナタウンもあり、25%を占めるという中華系の人々が凝縮されていたその地区は、かなりやかましかった。

僕が話したり、世話になった人たちは、国民の6割を占めるというイスラム教である可能性が高い。
ナンカレーをひたすら右手だけで食べてたら(イスラム教では左手は不浄の手とされる)、隣のおっちゃんが「お前、グッ!俺が飯代払ってやる」と、奢ってくれそうになったり、はたまた駅では、「買い物袋下げてるから、代わりにチケット買ってくれ」とお金を渡されたりと、とにかく気さくだった。

極一部の過激派連中のおかげで、迷惑を被っているこの宗教の信者は、接してみるとかなり温厚で穏やかだ。

宿にはシリアから来たという人もいた。
それを聞いたとき僕は言葉を失ってしまった、というか、聞いてみたいことの英単語をまったく知らなかったために、沈黙してしまった。

普通に接していると、どこの国の人とも変わらない、いい人なのだ。
いい人が国にいられないって、本当に異常事態だ。



話はかわるけど、インドに行ってみたい。
もはや計画もクソもなくなってしまったため、期限である9月までは、行かないで後悔するようなところは残したくない。
そもそもタイトルにカーマスートラついてるし。
ちょっと考え中。


クアラルンプールの写真。

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一応安否確認ブログ

クアラルンプールは、「泥の川が交わる場所」という意味を持つらしいが、まさに今不透明な憎悪がこのマレーシアで交差しているという。
ISISだ。

先月、クアラルンプール近郊で爆発事件が起こったのだが、マレーシア警察によるとISISの犯行らしく、さらにバングラデシュでのテロにも、マレーシア人が関与しているといわれている。
爆弾事件はISIS関与と断定、マレーシアでは初のテロ(http://www.cnn.co.jp/world/35085333.html)

僕がなぜこんなにもマレーシアの情勢を注視しているかというと、今まさに東南アジアにいるからだ。
いやもといクアラルンプールにいるからだ。

これはまじで冗談では済まないのだけど、やっちまったと思っている。

6月10日にバリにビザ無しで入ったため、7月10日までにインドネシア国内を絶対に出なくてはならなかった。
ウブドでの農業を終えクタに帰ってきた僕は、恋にうつつを抜かしており、航空チケットを取るのを後回しにしていた。
そこで、前々日の7月8日になってようやくスカイスキャナーを見てみたら、最低でも2万3千円はする。
「2万3千…!?」
9日と11日は半額以下なのに、なぜ10日だけバカ高いのか。

1日バリを無駄にするのは哀しいけれど、9日に出るしかない、と、21時20分のチケットを入手。
これがマレーシア行だった。

チケット取るまでに、きちんと現地の治安を確認したのだけれど、上のニュース記事だけは気がかりだった。
それでも「今後マレーシアでまたテロが発生する恐れもあるから、繁華街だけは絶対に避けよう」という意識があれば、なんとかなるんじゃないか、くらいの気持ちでいた。
いたのだけれど。

僕がチケットを購入した僅か1時間後、「ISISがマレーシアを全力で攻撃する」というニュースが現れた。
爆破テロ、ついにマレーシアで実行される(http://www.mys-news.asia/news_6AXke1G5E.html)

そんなの聞いてない。僕は戦場を思い出す。
小学校5年生で見せられた「プライベートライアン」の、爆発で腕が吹き飛ぶシーンを。
情報源の確認が取れなかったのだけれど、とにかくこれはやめといた方がいいんじゃないか。
だんだん怖くなってきて、僕は0時20分に到着するクアラルンプール国際空港に一泊し、早朝の便でベトナムに乗り継ぐことを決意する。
チケットも早いとこ取って、いち早く身の危険を守る。

そして迎えた本日早朝。
時限爆弾も凍ってしまうのではないかというほどに冷やされた空港内を、よたよたと歩きながら、硬直してしまった背中をほぐしていく。(クアラルンプール空港の寒さは有名で、トイレの床にまで強風装置がついており、気を付けないとおしっこが風に流れていく。)
やっとのことで辿りついたチェックインでのことだ。

「あなたこの前ベトナム行きましたね。」
「え、はい」
ベトナムは30日以内の再入国が出来ないんですよ」

やっちまった。
完全に忘れていた。
だけれども僕はどうなる?
そんなのわずか1日のズレじゃないか…。
まさか決戦の地へ放り出されたりしないよな…。

そのまさかということで、飛行機には搭乗できず、さらに当日ということもあり変更もきかず。
僕は自分の不注意でおよそ6千円を紙くずにしてしまい、今深く反省している。

仕方がないのでクアラルンプール周辺で宿を見つけたが、明日からもめっきり引きこもる予定だ。

そしてさっきtwitterで確認したところ、僕の英語リーディングが間違っていなければ、3人のインドネシア人がボルネオ島武装勢力に誘拐されたらしい。
ボルネオ島は、マレーシアはマレーシアでも、隣の島にはなるので直接的な危険ではないけれど、用心するにこしたことはない。
なかなかのストレスになるかもしれない。早くチケット買おう。

熟睡が恐ろしい

今携わっている農業の話よりもまず先に書かなければいけないことがある。
ダッカのテロについて考える前に書かなければいけないことがある。
車に轢かれてしまった話よりも伝えておかなければならないことがある。


情けない話なのだが、うんちを漏らしてしまった。


インドネシア語で下痢のことを「diare」という。
なぜ「ありがとう」と「こんにちは」と「私の名前は」と「かわいい」という極小のバリエーションの中に、唐突に「下痢」が入り込んでいるかというと、原因不明の腹痛と一週間戦っているからだ。
現地の人に症状を伝えることが出来れば、グッと距離感が縮み、あの手この手のアドバイスをしてくれる。
目が合った時に軽い挨拶を交わすのは日常茶飯事で、How are you?と来たら、「ノットグッド、diare」と返すのがここ一週間の決まり文句となっている。

だから実は車に轢かれた時も、衝撃でうんちが飛び出したのではないかと予感し、お尻の痛みを確認するついでに、湿り具合まで確認したのはここだけの話だ。
Are you ok?と身体を按じられたとき、「diare」と答えていたら、彼らは不良20人で結論付けた最良の克服法を教えてくれただろう。

一週間前何があったか。
僕たち農業チームは、ホストさんの実家があるバリ最北のド田舎、シンガラジャで合宿入りしたばかりだった。
夕方17時に到着し、「とりあえず日も暮れてきたので、みんなで村探索にいってこい」と、あまり気乗りしない提案をいただくが、ハイジみたいに天真爛漫スイス女性に手を引かれ、ぞろぞろと練り歩くことに。

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村に外国人が現れることは珍しいらしく、奇異のまなざしで見られる。
僕が子どもに「nama sayario”(私の名前はrioです)」と言おうものなら大パニック、瞬く間にrioの名前は村中を駆け巡り、以降どこを歩いてもみんな僕の名前を知っているという状況が出来上がる。
この状況、日本に初来日したビートルズと言っても過言ではないが、2002年日韓ワールドカップの際中津江村で厚いもてなしを受けたカメルーン代表で我慢する。

rio!こっちこいよ!お祭り見ていけよ!」
何を言っているのか理解はできなかったけれど、皆でついていくと、小さな祭壇がある一画で人々がトランス状態に入っていた。
どうやら5年に一度の祭事真っ最中らしく、老若男女が入り乱れ満員電車さながらのその空間で、僕たち3人はやはり奇異の目で見られることになる。
まるで痴漢でもして、事務所に連れていかれるような格好になりながら、その祭りの主催者みたいな人が用意してくれた特等席に腰かける。

ガムランという民族楽器の優美な重低音に耳をすませていたら、いつの間にか目の前にたくさんの食べ物が並べられていた。
神殿の前にずらりと似たようなものが並べられているが、どうやら、神に捧げた後にみんなで召し上がるのだという。
食べ物は神様のためのものであり、私たちのためのものでもある、というようなことを言っていた。

しかし、申し訳ないのだけれど、この時に食べた何かに僕はあたってしまったのだと思う。
揚げたバナナ。何かのおにぎり。ココナッツミルクの入った餅。スネークフルーツという謎のフルーツ…。
なんだかいろいろ食べてしまったけれど、スネークフルーツが怪しいのではないかと踏んでいる。
理由は、響きが毒持ってそうだからだ。

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オランダ人の男性に「皮が蛇っぽいからスネークフルーツっていうんだ」と説明は受けるが、食べ方の説明は聞き取れず。
とりあえず硬い皮をむいてみると、ニンニクのような白い果実が出てきた。
これがどうしたことか、熟れた部分とそうでない部分に分かれており、僕は一瞬迷ったけれど、当然のように熟れていない方を選んで頬張った。

今でも真相は確かめていないが、次の日から吐き気と下痢が止まらなくなった。
シンガラジャの合宿では、4日間の滞在のうち3日は寝込んでいた。
早くウブドに帰りたくて仕方が無かったけれど、帰ったところで暖かい風呂が待っているわけではない。
二段ベッドの上段を乗り降りして、わざわざ外にあるトイレまで頻繁に通わなければならない。

実際に帰ってみてから待っていたのはそのような生活で、ベッドに戻るころには既に便意が回復しており、また降りなければならないという地獄だった。
それでも何日かはファームで働き、動いている方が実は楽なのではないかという結論にたどり着いた。

そして最終日、広大な敷地に水まきを終え、気持ちよく農業体験終了。
僕はメンバーに別れを惜しまれ、ハイジちゃんとラストディナーを食べに行くことになる。
やはりお腹の調子が気になったけれど、彼女は菜食主義のため、消化の悪いものは食べないだろうと安心し、ベジタリアンレストランへ行く。
「I miss you.」なんて人生で言われるなんて想像もしていなかったけれど、ろうそくの火の向こうから彼女はそんなことを言ってくれた。

彼女は俗に言うCRAZYな人だ。
草刈りをしながら「nice nice nice」とか呟いているし、宿の目の前でニワトリが死んでいた時に、「I make a song for chicken」とアコギをかき鳴らしていた。
ふたりでギターの練習もしたし教えあった仲なので、彼女のイカレ具合が日常からかけてしまうのを想像するとちょっと寂しかった。

午後9時。
帰宅直後、案の定腹の緊張がゆるみ、再びdiareが再開される。
「お腹痛いから早く寝るね。」と伝え、スイス女性をおいて寝た。
「good night」という彼女の表情も少し寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。


次の日の朝、下痢を漏らしていた。


めちゃくちゃにテンションが下がって、自分の腹の緩さを呪った。
いくら寝ているときとはいえ、肛門突破を許してしまう我が筋肉を情けなく思う。
出発の日に何をしでかしてくれているのだと。
農園ではほとんど力になれず、みんなに何も与えることが出来なかった自分の置き土産は、糞なのかと。

忘れもしない。時計を見ると6時47分。
ふたりは農園で働いている時間だが、家を出るときに臭いに気付かなかっただろうか。
犯人は間違いなく僕だと断定されるはずだ。
いや、そんなこと気にしている場合ではない。過去の過ちを悔いるより、未来の最善を考えなければ。
とにかくこの状態をどう処理したものか…。

ここからのグロイ詳細は割愛。
様々な方法で身体も物もクリーンにし、ようやく何事もなかったことに出来る状態に。
シーツも出発前にクリーニング屋に預けよう。
その時、またキュルルルルゥとお腹が鳴った。
トイレに駆け込もうとすると、僕の荷物に何か乗っていることに気が付く。

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泣けてきた。
あっという間の二週間だった。
ほとんど腰痛と腹痛との戦いだったが、みんなで囲む食事はやさしくおいしかった。


便器にかがみこみ、お尻丸出しで上を見上げると、四角くくり抜かれた空をあっという間に雲が通り過ぎていった。