僕のB'z
完全にノープランで来てしまったため、誰かを追いかけるという旅が続いているここインド。
ダージリンを抜けた僕は、約23時間かけて、北中部のバラナシへと赴いた。
バラナシは、日本のテレビで多分一番放送されているインドの象徴、ガンジス河に接している町。
沐浴している人々がたくさんいる、そう、あのシーンの町。
そこで泳ぐと3日後に、熱か下痢になるといわれているけれど、吐き気も追加してほしい。
コルカタ、プリー、ダージリンとはまた色彩の違う町で、面白さでいうと群を抜いていると思うけれど、どちらかというとこの町が嫌いだ。
牛と野糞が多すぎる。
バラナシの町
そして他の町とは打って変わって、巧みな日本語を操るインド人が無数にいる。
平均して30歩に一回は「コニチワー」「チョットマッテオニーサン」「ヒゲカッコイイネ」「ヒゲドーシタノ」「ナニソノヒゲ」と、何かしらの日本語で声をかけてくるものだから、目的も忘れるほどに思考をシャットダウンされ、前に進めない。
いや、実は目的など特に無いからちょうどいいのだけれど。
この間もその姿勢で、河沿いでぼーっとインド人を観察していたら、いつの間にか少年たちに囲まれていた。
その中でひときわ英語が達者な15歳の少年がおり、意気投合。
そいつにひょこひょことレストランに連れて行ってもらった。
「お前、いいやつだな。なんか食うか」
「いや、いらない。さっき食べたからお腹いっぱい」
「じゃあなんか飲むか。ラッシーあるぞ」
「ありがとう、でも本当にお腹いっぱいなんだ。それよりもさぁ、ポスカ。ポスカ。ポスカ…」
ポスカってなんだ。
インド料理に疎い僕は、カレーと、チョウメン(麺を野菜や卵と炒めたもの。炒飯みたいな味)のローテーションでやりくりしてて、ポスカは食ったことがない。
メニューを睨みながら、ポスカ、ポスカ、ポスカ…と探していると、少年が懐から何かを取り出しテーブルに叩きつけた。
「……、ハウマッチ……。」
「800ルピー(1200円)。」
高っけぇぇえええええええ。
12枚セットだから、日本だったら1枚120円の計算で妥当といきたいところだけど、200ルピーで一泊はできるため、これは法外な値段だ。
「実は学校に授業料を払わないといけないんだ…明日までに500ルピー…」
苦し紛れの言いわけなのか。
「ばか、俺たちは友達だって言ったじゃないか。だからそういうお金の関係は無しにし…」
「GET LOST」
生まれてこのかた15歳のガキに「消え失せろ」なんて言われたことなかったのだけれど、インドならそれが有り得るらしい。
翌日、その少年は河のほとりで同じように、旅行者に必死に語り掛けていた。
その話を宿でしたところ、”そいつと友達だ”という女性がいたのだけれど、その人こそバンコクで知り合ったCさん。
彼女は元美容師さんで、路上で「髪切ります」というパフォーマンスをやっている。
バンコクのカオサンロードでは、連日彼女の周りに人だかりができて、挙句の果てにクラブハウスの壇上でやるかやらないかというところまでいっていた。
愛知県出身らしいのだけど、ノリが完全に大阪のおばちゃんで、誰とでも友達になる強烈な31歳。
いっしょにバラナシの町を歩いたけれど、15人くらいのインド人から名前を呼ばれていた。
「おいC、チャイ飲んでいけ」
「C、髪の毛かっこいいだろ」
「やいC,10ルピーくれ」
人を引きつける力が半端ないけれど、「あなたかわいい」と言われたことはないらしい。
彼女とデートできる、通称「Cツアー」に参加してみた。(参加費無料)
まず火葬場に行く。
ガンジス河のほとりでは、聖なる河に帰ることを目的として、毎日大量の遺体が運ばれてくる。
それを薪で約3時間焼くのだけれど、その焼却シーンが目の前で繰り広げられるという衝撃のインド価値観。
観光客から薪代を徴収するために開放しているのかな。
お腹に赤ちゃんがいる人、子供、罪人…なんだったか忘れたけど、この世を全う出来なかった人々は、焼かれることなく、ガンジス河に流される。
ガンジス河には死体も流れている、という理由はここにあるらしい。
次はスィンディヤーガートという、傾いた寺院が沈むほとりに。
その前の広場でインド人たちに囲まれ、ツアーどころではなくなる。
平日の真昼間から、なんでこんなに暇そうな人がいるんだ、と疑問に思うけれど、自分もその一員じゃないかと、ハッと気づく。
その中で宣教師みたいになった僕は、すべての人に暇と退屈を!と説いてみせる。
ガンジス河のほとりにて
日も傾きかけたところで、散髪開始。
一度目は半ば強引に切られたけれど、二度目は自ら志願。
共通の趣向として「B’zの稲葉さんみたいにしてください、ギリギリchopの時の」とオーダーするも、周りの日本人ギャラリーは、ギリギリchopを知らないというまさかのジェネレーションギャップを思い知らされる。
ギリギリchopは僕にとっても思い入れのある曲で、「HOME」に感動したあのB’zがなんとコナンの主題歌を歌うという、憧れへの距離がグッと縮まるきっかけとなった曲だった。
ちなみに僕の中では、ギリギリchopが前期B’zと後期B’zの分岐点となっていて、ギリギリchop以降も好きだけど、僕の中では売れ専という設定となっている。
部活動の懇親会のカラオケでも、コナンの主題歌「ギリギリchop」を歌えば人気者にのし上がり、調子にのった僕は過去の「ALONE」「OH!GIRL」「恋心(KOI-GOKORO)」と10歳ながらにラブソングを熱唱し、親御さんたちからは爆笑という名のせせら笑い、同級生からは沈黙を買うことになったけれど、歯止めがきかなかった。
今でも忘れないのだけれど、周りの不穏な空気を感じ取り、活気を取り戻そうともう一度「ギリギリchop」を歌い出した時、ほとんどの同級生が、スーっと部屋から退場した。
空気を読めないのは天性であるらしい。
それでも、取り残された僕に「ギリギリchop」はある意味での解釈を与えてくれる。
ギリギリじゃないと僕ダメなんだよ
おねがい寒い目で見つめないでよ
自分のペースでやらせてよ
じゃないとすぐに潰れる
ギリギリ崖の上を行くように
フラフラしたっていいじゃないかよ
それでも前に行くしかないんだから
大丈夫 僕の場合は
歌を止めることなく歌い切ったあの頃の自分に、心からの称賛を与えたいと思う。
そして僕を見事にあの頃の稲葉さんに(顔はそのまま)してくれたCさんに、感謝したい。
またどこかで僕をB'zにしてほしいと思う。